ADIブログ

思ったこと・学んだこと

今までの大学生活をざっくり振り返る

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 何年後かに読んで当時はこう考えていたのだと残すために、恥ずかしながら入学前と4年間を振り返り、これからについて思いを馳せたいと思います。

・大学入学前

 

大学に入学した僕は、ぼんくら(ぼんやりしていて、見通しのきかない人)の代表例であったと言えます。というのも、それまでの人生において自分で決断した物事はほぼないといえるくらい、何もかも周りに流されていました。身近な例でいえば、とりあえず中学受験してそれなりの中高一貫校へ入学し、それなりに勉強して、周りに勧められた学校の何気ない理由で選んだ学部を受けたことが当てはまると思います。割と順風満帆な人生もつかの間、志望していた大学に落ちてしまいます。周りの期待もあってか、親にかなり罵倒され、仲がかなり悪くなりました。親は一年浪人して第一希望の大学に行きなさいと熱望していましたが、ここで私は初めて、人の意見に流されずに決断し、浪人せずに同志社大学へ入学することを決意する。入学の決め手は、この頃勉強に対して意味を見出すことができなかったため、もう一年浪人しても成績が下がっていくはずだろうと考えたからです。こんな消極的な意見であっても、自分にとっては大事な決断でした。

・大学1年生

 同志社大学へ入学は決めたものの、試験に落ちたダメージと新歓のみんなのキラキラした顔の眩しさで1か月くらい大学へ行きたくなかったのを覚えています。とはいっても、自分に話しかけてくれる人が何人かいて、友達が何人かできました。この友達は、類は友を呼ぶという諺の通り、自分と同じく大学生活に対してモチベーションがあまりない人種で、昼休みに食堂がいっぱいになりすぎる現象に嫌気がさして、3限の授業を行かずに明徳館でご飯と若鶏のから揚げという貧乏セットをむしゃむしゃと貪り、その後友達の家へ行きマリオカートをし、適当に鍋をしたりラーメンを作ったりしてました。気づいたらマリオカートの順位が日本でかなり上の方になってました(笑)。今思えば管理されつづけた人生から自分の決断で行動する快感みたいなものを感じていたのだと思います。

 それに加えて僕の人生で大きなターニングポイントであるESS(英語研究会)への入部があります。きっかけは些細なもので、友達が授業を休んでいたために、ぼっちでご飯を食べていた自分に落ち着いた先輩が話しかけてくれて、つれられるがまま行ってみると、なんと居心地がよかったのだ。あと不純な動機ではあるが、当時いた先輩方がみんな可愛くて、男子校出身の自分からしたら興味がそそられたのでふ(笑)。とはいっても、英語に格段興味があるわけでもなく、出来るわけでもないのでサークルの活動には途中まで乗り気ではなかったです。それに先輩方に惹かれて入部しただけであったので、同期となかなか仲を深められずにいたと思います。この時点で、仲良くなるには一定の時間が必要であるという自分の心のATフィールドの硬さがなかなかにあるのだと最近になって気づきました。

 そして秋ごろになるにつれ1回生にも仕事が割り振られるようになり、EVE祭同志社大学の学園祭)での広告リーダーに立候補したものの、メンバーが知らない人たちばかりで、結構ギスギスしてあまりうまくいかなかったため、かなり萎えていたのを覚えています。ここの辺りから今まで受動的であった会話しかできない自分から脱却しようと試みます。そして能動的に行えるように意識し始め、人との交友関係がだんだん増え、頻繁にご飯に行ったりするようになりました。

 そして冬、大学初の彼女が出来ます。最初手をつないだりするのさえ緊張していたのを今でも薄っすら覚えていますが、あの高揚感はなかなか得難いものであったと思います。順風満帆に見えた恋愛ですが、会う頻度やその他に対する不満が募り、ついに僕は爆発し別れをつげてしまう。爆発とはいっても、別れを決断した時は怒りや悲しみというよりかは寂しさ?とはまた違うのだが得も言われぬ感情に襲われ、うわの空であったことを覚えている。

 一回生の時はまだ大学やサークルといった周りの環境の変化が劇的過ぎて、それに追いつこうと必死に走り回っていたような感じがして、方向性が全く定まっていなかったと思います。でも今までの元から敷かれているレールを走っていなかったことも確かだと思います。

 

・大学2年生

 

 学校生活においては、一回生の時についた不真面目さが染みついてしまったために、言語の授業以外出席しない所業をなしてしまう。これは今でもかなり後悔していて、単位的にも余裕ではなかったし、やはり大学に来る以上教授の授業を聞くことが出来る稀有な経験が出来ることを放棄してしまうのは実にもったいないことだと思っています。授業料もったいないみたいな意見に対しては、自分は大学を卒業するという免罪符の入手に必要なお金だと思っているので、単位が取れさえすればいいと考えています(親や他の人には大変申し訳ないと思ってはいます)。

 アルバイトもこの頃にはスーパーのアルバイトを始めて半年が経ち、先輩や同期とバイトの後に宅飲みをしたり、ビールを買って公園で飲みながら恋愛の話や何気ない話をしていました。

 

サークルでは、2回生になると活動のレベルが上がりきつくなってきます。それなりに努力はしていたので大会でもそれなりの結果がついてくるようになってきました。そして役職を決める時が来ました。もともとチーフという一番上の仕事や、している人の人柄とかがかっこいいなと思っていたのですが、今まで一番上の仕事や前に立つ仕事をしたことがなかったので、決断するのにかなり迷いました。でもサークルに対しての感謝の気持ちや伝統に対しての責任感であったりは人一倍、いや誰にも負けるつもりはなかったので立候補しました。ぼんくらからチーフへの大きなステップアップですね。しかしチーフになるからには大会でも目立った成績を残す責任であったり、サークルの雰囲気づくりや、部員と親密に接することをする必要があり、今まで何もしてこなかった自分には自信が1ミリもなかったです。2回生の段階では難関の一つである関西大会があり、それまでに実力を上げる必要があったが、それまでの大会では思うような結果が出ずに自分の無力さを思い知りました。でも、よくよく思い返してみると結果をとることへの熱意であったり練習量や、考えて取り組むことが出来ていなかったりと、足りない部分が多くあったため、自分のポテンシャルと周りの期待に応えたいという気持ちと責任感を持って取り組むことで関西2位を取ることが出来ました。正直今まで順位とは無縁だという人生を歩んできたこともあり、実感が湧きにくかったが、時間の経過とともに実感でき、自分の能力に自信を持つことが出来るようになったターニングポイントであると言えると思います。

・大学3年生

 

 学校生活においては、3回生になってようやく授業の面白さがわかり始めるという、普通の大学生とは違った世界線で生活している感じがしますね。ゼミにおいても執筆活動を通して勉強の面白さがわかったものの、サークルやアルバイトとの両立がうまくできなかったのを後悔しています。ある程度色々なことに挑戦できるマインドになってはいたものの、スケジュール管理の雑さや未熟に発達した自信がここでへし折られることになります。

 この時期はほぼ毎日予定がない時がなくて、サークルの運営等で時間をかなり消費し、残りの時間をアルバイトに充てていました。とはいっても自分の家から大学まで3時間以上往復でかかってしまうのでカツカツのスケジュール調整でした。プライベートな時間が必ず生活に欲しい自分としては、そのカツカツで忙しい生活に耐えられず、アルバイトを3回くらい飛んでしまいました。そんな自分でも信頼してシフトに入れ続けてくれたパートさんには本当に感謝してます。もうちょっと怒ってくれてもいいのにとは思いました。(笑)

 

 サークルにおいては新歓という一大イベントを自分が引っ張っていかなくてはならないということで、今まで出会った人よりも多い数の人たちと話す必要があり、魅力的に感じてもらうようにするため、朗らかに話しかけたり話を振ったりといった今まであまりしっかりしてこなかったことに直面し、最初はかなり精神的に不安な状況がありました。でも自分だけ頑張っているのではなく、みんなも一緒になって頑張っているのが伝わり、一体感を持って活動に取り組むことが出来、最初に考えていた新歓の目標を達成することが出来ました。このイベントを通して自分の熱意を周りに伝え、周囲にいる人たちを動かして目標を目指すことの大切さを学びました。(今思えばまだまだな部分がかなりあります・・・)

 他には、3年生最後の全国大会予選にて決勝に行けると思われていたのに予選で負けてしまったことがありました。ここでもまた僕は壁にぶち当たり今までしてきた努力は無意味だったのだろうかという自問自答を繰り返していました。1か月くらい悩んでいましたが、悩んでも仕方がないと思い、今まで自分が学んできたり考えてきた技術を後輩たちに還元していこうと考え、必死に試行錯誤して教えていました。そうするうちに後輩たちがメキメキ成長してくれて、少しは自分も役に立ったと思い嬉しかったのを覚えています。これは最近納得したことなのですが、『人生』というものは生まれた時やスタート地点から運命が決まっているのではなくて、一番最後になって初めて人は人生に意味を見出すことができるという考えで、たとえ失敗してもそこで人生終わりではなくて、そこから諦めずに取り組むことで結果として成功にもできると思いました。とはいっても悔しいことは悔しいので、そこで踏みとどまらないように割り切って考えることも大事ですね。

・4回生

 

 大学を終えて次のステップを決めるイベントである就職活動がありました。僕はなかなか就職というものへ意味を見出すことが出来ずにいたため、人よりも遅くに始めたと思う。

そして意味も見出さぬままに会社の説明会に行ってみると、実際に人の役に立つことのできる仕事を誇りを持って取り組んでいる人、そうでない人と話すことが出来、自分がどういった仕事でみんなの役に立ちたいかがぼんやりと分かるようになってきた。僕はスタートは人よりも遅いものの集中力には自信がある方で、決断してからはかなり頑張ったと今でも思う。それに今思えば、就職活動中とはいっても定期的にオフの日をつくるといった取り組みが自分のペースを乱すことなく集中できた要因であったと感じるため、これからも必死に取り組みながらもマイペースさを失わずに行動していけたらと思います。とはいってもかなり志望していたところの最終面接に落ちた時はかなり心がぐちゃぐちゃになりました。(笑)そして今はやりたいことが頭の中にたくさん浮かんできて、どうやって膨らませていこうか?どうやって現実とすり合わせていこうか?という風に悩んでいます。

 ゼミの活動ではフィールドワーク等が今までで一番活発に行われていて(笑)、このゼミのメンバーの気を遣わずにいられるところとかがとても居心地よく感じられ、もっと2回生から仲良くするように能動的に動けばよかったと後悔しています。すんません。

 そして卒業後にはレールのない人生を一人で歩いていくことに少し恐怖を覚えています。でも大学生活や人間関係を通して得た経験を活かして道を切り開いていけたらと思うとともに、会社に入るのがゴールではなくて、会社外でやりたいことが今頭の中で色々浮かんでいる状態で、そういった自分の夢をこれから叶えていけたらと思います。

 

 今までの事を踏まえると少しはぼんくらから脱却できたのではないだろうか?

 そうであるといいな。

 ぼんくらな自分をここまで成長させてくれた友達、ESSの皆、バイト先、同志社大学に感謝を。